ご挨拶
我社は1951年に設立した洗濯屋の会社からはじまりました。1972年沖縄本土復帰を果たし、1975年には海洋博覧会が開催され、沖縄は大いに沸いていました。ちょうどその頃、鰻養殖を始めて早45年になります。
創業者の父は養殖の飼育方法が全然わからないところから始め、兄が初めに水産大学を卒業し、続いて私が卒業してから徐々に生産量が増え200トンを揚げるまでになりました。
しかし、平成22年ころからジャポニカ種のシラスが不漁になり、シラス単価は高騰。それにつられ成鰻、蒲焼等製品価格も大きく値を上げました。
今では何か特別な時にしか口にできないようになってしまいました。
ワシントン条約で絶滅危惧種に指定されそうなほどに資源が減っていると言われています。
世界には19種のウナギの種類がいると言われていますが、このアジアに資源が豊富でおいしい鰻ビカーラ種がいたのです。
いち早く台湾、中国、韓国が養殖に着手しましたが、大変難しく殆どが撤退してしまいました。日本も遅れて取り組みましたがやはり上手く行かず、皆ジャポニカ種に戻ってしまいました。
私はこの鰻に会ってから8年ほどになりますが、はじめは私もこんな鰻に係っていたら大変だとやめようと思っていました。しかし、試行錯誤を繰り返しているうちに上手く育つようになり、加工場からは他の鰻(ジャポニカ)と遜色ないと言われるほどになり、今ではジャポニカより美味しいと言ってもらえるようになりました。
資源が豊富とは言え持続的に資源を利用しなければなりません。生息地のインドネシアやフィリピンの政府と協力し、資源の保護も考えていかなければいけないと思っています。
やっとのことでジャポニカと並び、とてもおいしい鰻を作る事が出来ました。
これで満足するのではなく、養殖技術、加工技術を磨きもっともっとおいしい鰻を作りたいと思います。
是非ご賞味ください。